「金平糖(こんぺいとう)」の由来とおすすめのテイクアウト容器のご紹介
こんにちは、業務用テイクアウト容器通販サイト「折箱堂」スタッフの佐藤です。
お土産屋さんに行きますと、ビンに入って宝石のように輝く「金平糖(こんぺいとう)」をよく見かけます。
従兄弟の娘さんが小さい時はよく買ってあげました。また戦国時代の大河ドラマ、特に織田信長が登場しますと必ずネタとして金平糖が登場しますね。
また、金平糖は、いろいろな食べ物のちょっとしたアクセントとして登場することもあります。
戦国時代に南蛮から渡来し、いつの間にか日本の和菓子として定着しています「金平糖」ですが、なぜ「金平糖(こんぺいとう)」と呼ばれているのか、なぜ日本に定着できたのか、実はわたしもこの記事を書くまで詳しくは知りませんでした。
身近にあるものなのに、実は色々わかっていない方も多いかもしれません。和菓子の由来には調べるほど奥深いものが多いのです。
今回は、そんな「金平糖(こんぺいとう)」について、歴史や由来等について調べてまとめてみました。また、おすすめの折箱についてもご紹介しますので、ぜひ最後までお読み頂ければ幸いです。
目次
「金平糖(こんぺいとう)」の由来
「金平糖」とは?
金平糖(こんぺいとう)とは、「表面にトゲトゲ(ツノの突起)があり、小さな粒で、色とりどりに鮮やかで砂糖でできた“和菓子”」です。
口の中に入れると意外と柔らかく、シャリシャリした感じがたまりませんね。
最大の特徴はトゲトゲ!星の様にもみえます。
このトゲトゲは、
「銅鑼の中に核となるケシ粒やザラメ糖を入れ、そこに熱い蜜を少しずつかけながら1週間から2週間ほどかけて粒を成長させていく」
ことで、釜にくっついた部分が伸びて出来るそうです。
手作りの場合ですと非常に手間がかかり、熟練した職人の技が必要です。
「金平糖」の歴史
「金平糖」は「南蛮菓子」⁉
金平糖は、戦国時代、ポルトガルの宣教師や貿易商人より「南蛮菓子」の1つとして、日本へ持ち込まれました。
カステラやボーロ(ぼうろ)などもこの時期に日本へ持ち込まれた南蛮菓子です。
永禄12年 (1569) 4月16日に、ポルトガルのカトリック司祭ルイス・フロイスが、京都の二条城にて「時の権力者」織田信長を訪ねた時、ガラス瓶に入った金平糖を贈ったことが記録に残っています。
西洋文化を好み、実は甘い物が大好きだったと言われる信長様に気に入られたからこそ、今日の金平糖の存在があるとも言えますね。
ちなみに当時の金平糖の価値は、大河ドラマでは、「あのお菓子は一粒でも山城一つや二つもの価値が」と表現されていました。
この時代砂糖自体が日本では貴重な輸入品、はるばる海を渡って来た金平糖はかなり高価な品だったと思われます。
「金平糖」の語源は?
「金平糖」の語源は、ポルトガル語のConfeito(コンフェイト)です。
意味は、ずばり「砂糖菓子」です。
日本に布教活動を行っていた当時のイエズス会の本拠地が、ポルトガル中部のコインブラという場所にあり、コンフェイトは実はその土地の伝統的な地域限定のお菓子だったということです。
この時、信長公が手にした金平糖(コンフェイト)は、ごつごつした砂糖の塊で、あまりきれいなトゲトゲはなかったと思われます。
現在コインブラで販売されているコンフェイトは、「わたあめが凝縮したような味と甘さ」だそうです。現在も伝統として残っているとは驚きですね。
鎖国後の「金平糖」・・・
信長公はキリスト教に寛容で好意的でしたので、ポルトガルは、貿易と布教を一体化して行うことが出来ましたが、
徳川の治世になると、1637年のに島原の乱をきっかけにキリスト教勢力に対する警戒から1639年に国内からポルトガル人を追放します。
長崎貿易はポルトガルからオランダになりました。キリスト教の普及を禁じながら、「出島」のみ上陸を許可して続けていました。いわゆる「鎖国」ですね。
そのあと、金平糖の輸入は当然途絶え、食べることができなくなりましたが、その50年後位に金平糖に興味を持った長崎の菓子職人が、2年にわたる研究の結果、現在のような表面にツノの突起があり、色とりどりに鮮やかな金平糖を完成させました。
「和菓子」としての「金平糖」の誕生ですね。江戸後期には、サトウキビの国産化等で砂糖が安定供給され、日本全国に広がりました。
そして明治時代後半になりますと、それまで手作りされていた金平糖が機械で作られるようになり、大量に流通されることになりました。
金平糖は爆発的な人気を博し、駄菓子の定番となりました。
しかし、大正時代に入り、アイスやチョコ、キャラメルやドロップといった新しい砂糖菓子の登場に押され、昭和の初期には、金平糖は次第に駄菓子売り場から姿を消していったのです。
現在の金平糖は、駄菓子としてのイメージというより、ひな祭り等のお祝い事、または引出物や贈り物などで活躍しているように思われます。
皇室では、慶事の際に金平糖の入った「ボンボニエール」(フランス語bonbonniere:ボンボン(砂糖菓子)を入れる菓子器)を引き出物とされております。明治天皇が金平糖を好まれたという背景があるかもしれませんね。
「金平糖」にお薦めの折箱
お祝い事、または引出物や贈り物などで活躍している「金平糖」。
ハレの日やお土産品としても、折箱を使って頂ければより高級感を演出できると思います。お勧めの商品は、こちらの折箱です。
【折箱】丸4.3寸 杉 蓋付(15個入)
【折箱】丸4.3寸 柾目赤 蓋付(15個入)
15個入りなので、ちょっとしたイベント用、行事用にも対応できるかと思います。
更に135個入りも用意しており、1個あたりの単価を下げる事ができます。
【折箱】丸4.3寸 杉 蓋付(135個入)
【折箱】丸4.3寸 柾目赤 蓋付(135個入)
他にも、商品カテゴリーにて「和菓子の折箱」を設けております。こちらも参照していただければ幸いです。
「金平糖(こんぺいとう)」の由来とおすすめのテイクアウト容器のご紹介、まとめ
ここまで「金平糖(こんぺいとう)」の由来、歴史や特徴、おすすめのテイクアウト容器の折箱についてまとめてみました。
戦国時代、はるばるポルトガルから渡来した「金平糖」。時代の流れに翻弄され、「鎖国」にては一時途絶えかけましたが、長崎職人の努力により「和菓子」として今日に至ります。
小さな粒で、色とりどりに鮮やかで砂糖でできた“和菓子”金平糖。お雛様と一緒に金平糖を飾るご家庭も多いですね。
ひな祭りに頂く和菓子の色には、桃色(赤色)は「魔除け・厄払い」、白色は「清浄・子孫繁栄」、緑色は「健康・長寿」などの願いが込められております。金平糖のかわいらしさもあり、飾るとより晴れやかになりますね。
金平糖は、手作りの場合ですと非常に手間がかかるものなので「ゆっくり・じっくりと築き上げる」、賞味期限が長いので「末永く」、「変わらない美しさ」等々の意味を踏まえ、「永遠の愛」の意味をもっております。
これからも結婚式やホワイトデーの引き出物、贈り物などなど、縁起のある和菓子しても人々から愛され続けると思います。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。この記事が少しでもお役に立てれば幸いです!
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