「かりんとう」の由来とおすすめのテイクアウト容器のご紹介
こんにちは、業務用テイクアウト容器通販サイト「折箱堂」スタッフの佐藤です。
我が家ではお土産や贈答品で頂くことが多い「かりんとう」。
私の父が甘い和菓子が大好きと知っているからでしょうか。私もつまみ食いのはずが、ついつい止まらなくなる事が多いです。しかしながら、子供たちはちょっとしか食べませんね。考えてみると外見が地味だからかもしれません。
私や親の世代では黒糖の固まりが食をそそり、何も違和感もないのですが、今の若い世代にとっては美味しいものでも見た目が大事かもしれません。
見た目は地味でも、甘党にはたまらない和菓子として定着している「かりんとう」ですが、なぜ「かりんとう」と呼ばれているのか、いつ頃から登場したのか、実はわたしもこの記事を書くまであまり知りませんでした。
身近にあるものなのに実は色々わかっていない方も多いかもしれません。和菓子の由来には調べるほど奥深いものが多いのです。
今回は、そんな「かりんとう」について、歴史や由来等について調べてまとめてみました。また、おすすめの折箱についてもご紹介しますので、ぜひ最後までお読み頂ければ幸いです。
目次
「かりんとう」とは
「かりんとう」とは、「小麦粉に砂糖等を加えて練り合わせて棒状にし、植物油で揚げ、黒砂糖や白砂糖で作った蜜をからめて乾燥させた、和菓子の一種」です。
最大の特徴は、植物油で揚げた「揚げ菓子」であることです。
揚げる事で、「表面のみがサクッとした食感となり内部は水分が保たれ、軟らかさが残る。」のが美味しさの特徴であり、数ある和菓子の中でも独特感がありますね。
他の和菓子の中で「揚げ菓子」は、「芋けんぴ」(サツマイモを短冊状に切って砂糖でまぶしたもの)、ごく最近に登場した「かりんとう饅頭」などがあります。
海外発ですと「ポテトチップス」や「ドーナッツ」など子供が大好きなお菓子もお仲間と言えますね。
「かりんとう」の歴史
「かりんとう」の名前の由来
「かりんとう」の名前の由来ですが、諸説多数あります。
一番納得しやすい説が、「かりん(花梨)」の木の幹にそっくりなことから「かりんとう」となった事です。
しかしながら、「かりんとう」を漢字で書くと「花梨糖」ではなく「花林糖」と書くそうなので、「花の咲く木の幹に似ている」からとの説からかもしれませんね。
また、かりんとうを噛んだときに響く時「カリカリ」と音がするところから「かりん!」という言葉になったとの楽しい説もあります。
他にも、南蛮渡来説で、蒸気で動く船を「火輪船(かりんせん)」と呼んでいたことから、黒船が由来との話もあります。
このように諸説色々あるという事は、それだけ庶民に愛されている和菓子なのかもしれませんね。
「かりんとう」の御先祖様は、素麺(そうめん)と同じ?
「かりんとう」の御先祖様は、奈良時代の遣唐使によって唐から伝えられた「唐菓子」との説が有力です。
この頃、小麦粉と米粉を練り、縄のようにねじった形のお菓子として「索餅(さくべい)」が存在していました。
中国ではすでに「材料をこねて油で揚げる」揚げ菓子が確立していたのです。
索餅(さくべい)は、後に七月の節句の行事食である、素麺(そうめん)へ進化いたしました。
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この頃の唐菓子は、上流階級の貴族しか口にすることもできない高級菓子でありました。
調理法は知られていたのですが、砂糖も輸入のみで手に入らず、当時の油の原料である胡麻も生産量が少なく、大変高価なものでした。
庶民が頂ける様になるのはもう少し先になります。
「かりんとう」が江戸庶民の駄菓子に
奈良時代には「かりんとう」に必要な砂糖と油は、高価で非常に手に入りにくい物でした。
しかし、江戸中期頃になりますと、砂糖は、第八代将軍・德川吉宗の享保の改革の成果等により、サトウキビの国産化等で砂糖が安定供給されるようになります。
その結果、庶民にも甘い菓子を楽しめるようになりました。大福や練り羊羹もこの頃に登場しました。
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油は食用というより行燈(あんどん)の燃料、つまり明かりを灯すものとして重宝されていましたが、江戸時代中期になりますと、菜の花からとれた種(菜種)が原料の菜種(ナタネ)油が急速に普及しました。
明和7年(1770)には、関東地方でもナタネ油の生産が行われるようになり、生産が増加したため食用油として急速に普及し、庶民にも届くようになったのです。
そして江戸時代も後期、天保年間(1831年から1845年位)には江戸深川の山口屋吉兵衛が「花りんとう」の名で売り出して一気に評判を呼び、江戸庶民の駄菓子として地位を確立しました。
一時の江戸には200人もの売り子さんがいたと言われています。
こねた小麦粉を棒状にして油で揚げるという、現在と変わらない製法だったそうです。
江戸庶民にとっては「かりんとう」は、せんべいや、団子など共に「おやつ」として定着し、明治時代になりますと、浅草仲見世の飯田屋から全国各地に広まりました。
南蛮ルーツの「かりんとう」?
姫路のかりんとう(播州駄菓子:ばんしゅうだがし)は、南蛮生まれの「かりんとう」と言われております。
江戸時代後期の姫路藩家老の河合寸翁(すんのう)は、姫路藩の財政再建の為、特産品販売に関する改革を行いました。
その一環として長崎へ菓子職人を派遣、オランダ商館で南蛮菓子を学ばせました。このおかげで「姫路のかりんとう」が誕生したとの話が伝えられております。
姫路のかりんとうは、通常のかりんとうの工程に加え、うどんの様に、“ふむ・のばす”という2つの作業も加えることで、中身が詰まって歯ごたえがある仕上がりだそうです。
写真にある白い棒状のものは「奉天(ほうてん)」です。小さいかりんとうを 飴で包んで棒状にした物です。
黒くねじれたかりんとうは「黒ねじ」、茶色くねじれたかりんとうは「三温糖ねじ」と言い、現在も姫路の代表的特産品として続いております。
「かりんとう」にお薦めの折箱
コンビニ、スーパーも気軽に購入できる「かりんとう」ですが、観光地でのお土産やギフト用でも代表的な存在であります。
感謝の気持ちを包装にて彩るために、化粧箱として折箱を使って頂ければより高級感を演出できると思います。
紹介させて頂く商品は、こちらの折箱です。
本体 外寸 255×175×49mm(内寸245×165×41mm)とかなり大きめな折箱です。原反柄の杉も和菓子にしっくりくると思います。
売り切り商品の為、箱1個の単価が50%オフになっており、10 個入りでの販売。
ちょっとしたイベント用、行事用にも対応できるかと思います。いつもとは違う特別感を演出するのに最適なアイテムになるかもしれませんね。
芋けんぴ等、他の和菓子との詰め合わせセットもいいかもしれませんね。
なお、商品カテゴリーにて「和菓子の折箱」を設けております。こちらも参照していただければ幸いです。
「かりんとう」の由来とおすすめのテイクアウト容器のご紹介、まとめ
ここまで「かりんとう」の由来、歴史や特徴、おすすめのテイクアウト容器の折箱についてまとめてみました。
現在でも庶民の駄菓子である「かりんとう」。砂糖、油が安く手に入るようになった江戸時代後期には「江戸庶民のおやつ」として定着し、明治時代には全国に広がりました。
今日、昔ながらの「かりんとう」もいいですが、現代の「かりんとう離れ」を防ぐべく、色々な商品が開発されています。
青森のりんごを使ったものや、ミルフィーユ状にしたもの、ミルク味や、キャラメル味、チーズ味など。見かけた際には是非頂きたいと思います。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。この記事が少しでもお役に立てれば幸いです!
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