「おこし(おこし米)」の由来とおすすめのテイクアウト容器のご紹介
こんにちは、テイクアウト容器通販サイト「折箱堂」スタッフの佐藤です。
「おこし(おこし米)」と言えば、ほんのり甘くてさっくり歯ごたえのある御菓子。
ちょっとだけ食べるつもりが結構止まらなくて、いつの間にか無くなっていることもありますね。また関東圏に住んでいますので「おこし」と言えば「雷おこし」がすぐ浮かびます。
両親も和菓子好きで、小さい頃からよく「おこし」を食べていたのですが、特に意識はしていませんでした。
そのため、お茶の御供としても頂く庶民の味「おこし」が、なぜおこしと呼ばれているのか、考えたこともなく、昔からの和菓子のイメージしかありませんでした。
このように身近に食べているのに実は色々わかっていない方も多いかもしれません。
和菓子の由来には調べるほど奥深いものが実に多いです。
今回は、そんな「おこし(おこし米)」について、歴史や由来等について調べてまとめてみました。また、おすすめの折箱についてもご紹介しますので、ぜひ最後までお読み頂ければ幸いです。
目次
「おこし(おこし米)」の由来
「おこし」とは?
「おこし」とは、加工した穀物を飴で固めた和菓子の一種です。干菓子に分類され、賞味期限も比較的長く、三カ月位あります。
材料は、主にもち米・うるち米・あわなどであり、煎って膨らむこと、水気がなくなったものを再び勢いづかせる(興す)からでしょうか、古くから「興米」(おこしごめ)と呼ばれ、今では米を省略され「おこし」が通称となっております。
現在ではお米をすりつぶし、水飴で固めたものが主流ですが、各地方によって色々なものが掛け合わさっております。
起源は弥生時代に食されていた「糒(ほしいい)」とされ、日本最古の御菓子との説があります。
「糒(ほしいい)」は、現代で言う「乾飯」、「干し飯」でお米を天日干しにして乾燥させたものです。糒を蜜で固め、豊作祈願として奉納されたとのことです。
「おこし」の歴史
「おこし」は平安貴族のお気に入り⁉
平安時代、「おこし」は当時の貴族のお気に入りの御菓子でした。
平安中期に作られた辞書「倭名類聚抄(和名類聚抄)」(わみょうるいじゅしょう)では、‶「粔籹おこしごめ」は蜜を以て米に加え煎りて作るなり″とあります。
また、鎌倉時代に編集された「古今著聞集(ここんちょもんじゅう)」には、平安当時の関白・藤原忠通(ふじわらただみち)が、正月におこし(当時はおこし米)を口にしたと記載されています。
娘の聖子(崇徳帝后)に「おこし」を進上したところ、ぼろぼろと衣装にこぼれかかったとの事ですが、はかなく崩れ去る様がかえって風情があり、優雅で良いのかもしれませんね。
江戸時代に大衆菓子として定着
江戸時代になりますと、世の中が安定し、庶民も豊かになり、経済が大きく発展いたしました。
京都の京菓子と江戸の上菓子が競い合い、今私たちが頂いている和菓子もこの頃誕生したものが多いです。
そして「おこし」も大衆菓子として定着したのもこの時代。
江戸時代初期の料理書「料理物語」などで、おこしの製法が記されています。穀物と水飴などが調達できれば誰でも作れる時代になりました。
各地でおこしが作られるようになりましたが、特に有名なのが浅草銘菓「雷おこし」、大阪名物「粟おこし」「岩おこし」などです。
名物「おこし」について
浅草銘菓「雷おこし」
「雷おこし」の由来は東京都台東区にある浅草寺(せんそうじ)にある雷門(かみなりもん)に由来します。
ちなみに正式に 門は、「風を司る神」風神、「雷を司る神」雷神が配置されているので風雷神門(ふうらいじんもん)なのです。
しかし、いつの間にか風神様が省略されてしまい可哀そうですね。(背面では風雷神門とあります)子供が小さい頃行ったことがあるのですが、まったく気づきませんでした。
寛政七年(1795年)頃の記録ですと、「雷おこし」は、四万六千日(ほおずき市)の観音様ご開帳の日に売られるようになり、 「“ほおずき”と“雷おこし”は雷除けのおまじない」のキャッチフレーズで売られていました。
現在では、「家を起こす」「名を起こす」縁起物として東京を代表する銘菓となりました。
米に砂糖を主体とした、サクサクした味わいで一つ食べると止まらない和菓子です。
大阪銘菓「粟おこし」「岩おこし」
江戸幕府は、豊臣氏亡きあと大坂(現在は大阪)を、海運の要衝の地として河川の改修や堀の開削整備を行いました。
このお陰で水路が発達し、大坂(現在は大阪)は、日本全国の物流が集中する経済・商業の中心地となり「天下の台所」となりました。
良質な米や飴などの材料が比較的安価に入手できる環境を活かし、1752(宝暦2)初代津国屋清兵衛が、道頓堀二ッ井戸に「津の清(現:つのせ)」を創業。「粟おこし」の製造販売を始めました。
おこしを板状に延ばし、原料の米を粟粒のように細かく引いて練り合わせたもので現在の粟おこしの形状を確立しました。
また、粟おこしと命名された由来は、「お米の小さな粒が、粟のように見えることから「粟のようなおこし」すなわち、「粟おこし」とされた」と、現在の「つのせ」ホームページにて紹介されています。
またもう一つの名物「岩おこし」ですが、米粒を粟おこしより細かく砕いているため密に固まっており、より歯ごたえがあるそうです。
由来は江戸時代の運河工事の際に、大きな岩がたくさん出てきたことから「大阪の掘り起こし、岩起こし」 という大阪人の駄洒落に由来し、その固さにちなんで「岩おこし」の名が付けられたとあります。
実際に「岩おこし」を食べてみますと、生姜の味とにおいが効いており、形状も違うので「雷おこし」とは別の和菓子の感じがしました。
その他の名物「おこし」
長崎県諫早市特産の諫早おこし(いさはやおこし)。
江戸時代後期、米どころ諫早には、余剰米と長崎街道から運ばれた砂糖(黒砂糖)がミックスして、代名詞「黒おこし」として現在も伝統が引き継がれています。
「そばおこし」は、米の代わりにそばの実を膨化させたものです。「そばおこし」は、ごく最近できたものだそうで、機会があれば頂いてみたいですね。
「おこし」にお薦めの折箱
地方色豊かで贈答用で頂いてもうれしい「おこし(おこし米)」。
ハレの日やお土産品としても折箱を使って頂ければより高級感を演出できると思います。お勧めの商品は、こちらの折箱です。
【折箱】楕円5.5寸 杉 蓋付
【折箱】楕円5.5寸 杉 蓋付(15個入)
【折箱】楕円5.5寸 杉 蓋付(90個入)
15個入りなので、ちょっとしたイベント用、行事用にも対応できるかと思います。
更に90個入りも用意しており、1個あたりの単価を下げる事ができます。
つづいて、もう一種類。
【折箱】八角4.4寸 杉 蓋付
【折箱】八角4.4寸 杉 蓋付(15個入)
【折箱】八角4.4寸 杉 蓋付(120個入)
こちらの製品も15個入りと120個入りも用意しており、1個あたりの単価を下げる事ができます。8角4.4寸は柄違いも用意してあり、季節やイベントによって使い分けもお勧めです。
「おこし」の由来とおすすめのテイクアウト容器のご紹介、まとめ
ここまで「おこし(おこし米)」の由来、歴史や特徴、おすすめのテイクアウト容器の折箱」についてまとめてみました。
実は「おこし」は興米として起源からすると、日本最古の御菓子ともいわれています。
今から3000年前の弥生時代の頃に農耕が根付き、いろいろな形で穀物が食されてきました。「おこし」が懐かしく感じるのもそのせいでしょうか。
また、おこしは、「家を起こす」「名を起こす」更には大阪ですと「国をおこして、福をおこす」として江戸時代には雷おこしや粟おこしなど縁起物して庶民に定着しました。
また、近年、革新を起こす様な色々な「おこし」も登場してきております。機会があれば食べ比べしてみたいですね。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。この記事が少しでもお役に立てれば幸いです!
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