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こんにちは、業務用テイクアウト容器通販サイト「折箱堂」スタッフの佐藤です。

カステラ」と言うと「カステラ一番 電話は二番 三時のおやつは●●堂」というCMソングが真っ先に浮かびますね。今考えると、意味もよくわからず子供の頃から刷り込まれてたと思います。

ちなみに、私が子供の頃は、三時にカステラを食べた記憶はほとんどありません。どちらかというと両親お気に入りの「鈴カステラ」が定番のおやつでしたね。

お土産やお祝い事として頂くと嬉しい「カステラ」ですが、先日のブログ記事でご紹介しました「金平糖」同様、戦国時代に南蛮から渡来し、いつの間にか日本の和菓子として定着しています。

なぜ「カステラ」と呼ばれているのか、なぜ日本に定着できたのか、実はわたしもこの記事を書くまで詳しくは知りませんでした。

身近にあるものなのに実は色々わかっていない方も多いかもしれません。和菓子の由来には調べるほど奥深いものが多いのです。

今回は、そんな「カステラ」について、歴史や由来等について調べてまとめてみました。また、おすすめの折箱についてもご紹介しますので、ぜひ最後までお読み頂ければ幸いです。

「カステラ」の由来

「カステラ」とは?

カステラとは「卵・砂糖・水飴・小麦粉等を混ぜ合わせた、生地をオーブンで焼いた和菓子」のことです。

カステラの製造法には、共立(ともだて)法別立(べつだて)法という2つの方法があります。

共立法とは卵、砂糖をミキサーでかき混ぜ、泡立ててから、その後で他の材料を順次加えていく方法です。

ミキサーで多量の作業操作ができるので、大量生産に適し、一般的製造メーカーが行っております。

別立法とは卵を黄身と白身に分け、「職人の手によって白身だけを細心の注意を払い充分に混ぜ合わせた」後で、黄身や他の材料を加える手間をかけた方法です。

カステラの有名老舗では、この「別立法」を採用し、カステラ独特の、ふっくら、しっとりとした食感にこだわっております。職人の伝統、受け継がれた技術を守り続けているのです。

「カステラ」の歴史

「カステラ」は秀吉公が広めた⁉

カステラは、戦国時代、ポルトガルの宣教師や貿易商人より「南蛮菓子」の1つとして、日本へ持ち込まれました。

金平糖やボーロ(ぼうろ)などもこの時期です。

ポルトガル人からカステラの製法を伝授された、長崎の金屋町で南蛮菓子商を営んでいた村山等安(洗礼名:村山アントニヨ等安)が、一五九二年、文禄の役にて名護屋城に在陣していた天下人豊臣秀吉カステラを献上しました。

喜んだ秀吉公は、等安を初代長崎代官に任命したとの話があります。この事でカステラが世に知れ渡ったのかもしれませんね。

「カステラ」の語源・原型は?

実は、ポルトガルには“カステラ”と呼ばれるお菓子は存在しません

カステラが伝えられた当時、ポルトガルの隣国にはカスティーリャ王国(1035年 – 1715年:現在のスペイン)が存在していました。

王国名はポルトガル語発音では「カステーラ(Castela)」。

様々な南蛮の菓子や食物を日本に紹介する際、たまたま「パオ・デ・カスティーリャ(カスティーリャ王国のパン)」と伝えたはずが、「カスティーリャ→カステーラ→カステラ」となったのではないかという説があります。

また、カステラの原型・ルーツとされる菓子として有力なものとして「パン・デ・ロー(パンデロー)」が挙げられています。

ポルトガルの伝統的な焼き菓子で、素材が卵、砂糖、小麦粉です。卵と砂糖を泡立てる製法など、カステラと共通する部分が多いお菓子です。

ポルトガルの家庭では、伝統的な味わいが今も受け継がれています。

「カステラ」が日本の食文化を変えた?

今まで、和菓子と言えば、甘味、砂糖の話題が多いと思います。

サトウキビの国産化等で砂糖が安定供給されることで、和菓子が進化すると共に庶民に普及した事例を多く書いてきました。

カステラが歴史的に日本の食文化に影響を与えたのは、材料の「」です。

日本人の信仰と言えば、仏教と神道です。

神道では、神様にお供えした食べ物には神様の力が宿るとされ、卵もその食材に入っております。

仏教思想ではむやみな殺生を禁じており、「卵を食べることも命を奪う殺生」としてタブー視されていました

ですので当時の日本人にとって、卵が食品の材料になる事自体、天地がひっくり返るような出来事だったかもしれませんね。

まずは「薬食い」といって「薬としてならばやむを得ない」という考え方、医食同源の思想から徐々に変化していったのです。

卵を使った和菓子として、南蛮菓子として伝来したボーロ(ぼうろ)、江戸時代中期には今川焼(大判焼き)が登場しました。

しかしながら「かけそばが一杯十六文(600円位)の時代に、ゆで卵がひとつ二十文(750円位)」で売られていた江戸時代末期。

庶民にはとっては卵は大変高価な食材でしたので、日常的にが食べられるようになるのは、鶏卵生産が活発になる大正時代以降まで待つしかありませんでした。

さまざなな「カステラ」⁈

日本の養鶏は大正時代に本格的に始まりました。

それにより卵が比較的安価で手に入りやすくなってきたことで、卵が庶民の味として普及し、カステラから更なる和菓子が派生しました。

シベリア(羊羹カステラ)・・・明治後半から大正初め位に登場。カステラに羊羹または餡を挟み込んだ日本の菓子です。有名ドラマやアニメに登場したことで、「昔懐かしい菓子」として注目されています。

人形焼き・・・1907年に創業した板倉屋さんがその元祖と言われています。カステラ生地にあんこなどを入れて焼いた和菓子。日本橋人形町が発祥ですが、浅草でも人気です。

ベビーカステラ・・・1918年関西地方の露天組合が発祥。カステラのような生地を球状にたこ焼き風に焼いたもので、日本のお祭りを盛り上げる存在ですね。

鈴カステラ・・・1968年ローヤル製菓より登場。カステラ生地を鈴状に形成した焼き菓子。多くの人が手軽に安価で食べられるようにと開発されました。一口サイズで、ちょっとしたおやつに最適です。

「カステラ」にお薦めの折箱

お祝い事、または引出物や贈り物などで活躍している「カステラ」。

ハレの日やお土産品としても折箱を使って頂ければ、より高級感を演出できると思います。お勧めの商品は、こちらの折箱です。

【売り切り商品】桐箱297×92×70(5個入)

木目の美しさだけでなく、木材の持つ抗菌作用や調湿作用が、中身の食品を守ります。

他にも、商品カテゴリーにて「木製の折箱」を設けております。こちらも参照していただければ幸いです。

「カステラ」の由来とおすすめのテイクアウト容器のご紹介、まとめ

ここまで「カステラ」の由来、歴史や特徴、おすすめのテイクアウト容器の折箱についてまとめてみました。

戦国時代、宣教師や貿易商人より持ち込まれた南蛮菓子。ポルトガルの伝統的な焼き菓子が「カステラ」という名前で呼ばれるようになり、伝えられたレシピは進化を遂げ、長崎の名産品の和菓子として今日に至ります。

「カステラ」の存在は日本の食文化に大きな影響を与えました。

一つ目は“「」を食するきっかけを作った事”。後に江戸時代には数多くの卵料理が誕生し、現在、日本人一人あたりの卵の年間消費量は300個を超えます。

二つ目は“三時のおやつの習慣”。

元々2時から4時の時間を「八つ刻(やつどき)」といい、この時に頂く食事が「おやつ」と呼ばれていましたが、1960年代から放送されている「カステラ一番 電話は二番 三時のおやつは●●堂」のCMソングのおかげで一般に定着しました。カステラ様に感謝ですね。

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。この記事が少しでもお役に立てれば幸いです!

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