「どら焼き」の由来とおすすめのテイクアウト容器のご紹介
こんにちは、業務用テイクアウト容器通販サイト「折箱堂」スタッフの佐藤です。
最近、お土産で手のひらサイズより大きな「どら焼き」を頂きました。ふっくらした生地と甘いあんこが絶妙でとても美味しかったです。
「どら焼き」は、買い物の際、ついつい買ってしまう御菓子の一つでもありますが、国民的人気アニメの主人公の好物としても定着していますね。
「どら猫」と「どら焼き」を掛ける発想も巧みです。
このようにまさに国民的和菓子として定着している「どら焼き」ですが、なぜ「どら焼き」と呼ばれているのか、いつ頃から登場したのか、実はわたしもこの記事を書くまであまり知りませんでした。
身近にあるものなのに、実は色々わかっていない方も多いかもしれません。和菓子の由来には調べるほど奥深いものが多いのです。
今回は、そんな「どら焼き」について、歴史や由来等について調べてまとめてみました。また、おすすめの折箱についてもご紹介しますので、ぜひ最後までお読み頂ければ幸いです。
目次
「どら焼き」とは
「どら焼き」とは、「小麦粉・卵・砂糖などを混ぜて丸く焼いた2枚のカステラ状の皮に、あずき餡を挟んだ和菓子」です。
和菓子と言えば、大福や饅頭の様にあんを「包む」ものが多いですが、どらやきはあんを「挟む」というのが最大の特徴と言えます。
また、どら焼きの具として、栗や餅、生クリーム等が浮かびますが、最近はイチゴやオレンジなどを入れた「フルーツどら焼き」も流行っており、多彩なアレンジがなされています。
「どら焼き」の歴史
「どら焼き」名前の由来
どら焼きの歴史について検索しますと、必ずと言っていいほど登場するのが「武蔵坊弁慶」です。
「武蔵坊弁慶」は、平安時代末期の武将・源義経の忠臣として、数々の伝説が残されております。
その一つでしょうか、
「主君である義経と奥州へ逃れる際に、弁慶は足に怪我をしてしまい、近隣の民家で手当てを受けました。その際、弁慶は手当ての礼として銅鑼(どら)を使って薄い皮の生地を焼き、あんこを包んだ菓子を振舞いました」
という話です。
この弁慶が御礼として振る舞ったお菓子が「どら焼き」のルーツと伝わっております。判官贔屓(ほうがんびいき)の逸話かもしれませんが、浪漫がありますね。
どら焼きの語源になった「銅鑼(どら)」ですが、「平たい大きな吊るされた鐘のことで、バチで叩いて使う打楽器」です。
ちなみに「どら息子」、「どら猫」等も「銅鑼(どら)」が語源とされています。
「鐘を突く」→「金が尽く」=「金が尽きる」と掛け、遊んでばかりの怠けものを風刺しています。
「どら焼き」の原型は「巻物」、「四角」⁉
和菓子の歴史に欠かせないのは、茶菓子。
戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した茶人、千利休が有名ですね。そんな千利休が好んで茶会で用いたのが「麩(ふ)の焼き」という茶菓子です。
小麦粉を水で溶いて薄く焼きのばし、味噌や芥子(ケシ)の実などを包んで巻いたものです。
見た目は、巻物状でクレープや春巻きのような感じでしょうか。中身も味噌の替わりに刻んだくるみ・山椒味噌・砂糖なども入ったそうです。
ちなみに芥子の種は、ちょうど室町時代に南蛮貿易によってインドからもたらされ、その後堺や和歌山などで栽培されるようになりました。
江戸時代になりますと、この「麩(ふ)の焼き」が進化し、助惣焼(すけそうやき)が登場しました。
助惣焼(すけそうやき)は、寛永元年(1624)頃、江戸麹町三丁目橘屋佐兵衛が販売し、麹町の名物だったと記録にあります。
中身が味噌から、餡(あん)に替わり、形状は四角く包んだもので、見た目はきんつばのような感じだそうです。
現在の私たちが知るどら焼きが登場するのは、もう少し先の時代です。
西洋文化を取り入れた「どら焼き」
明治時代以降、日本に多数の西洋風の菓子が紹介されるようになりました。
江戸時代に助惣焼(すけそうやき)として広まった和菓子が、現代のどら焼きの形になっていったのも、この頃です。
1850年(嘉永3)創業・茅場町の和菓子屋「梅花亭(ばいかてい)」の3代目店主がパンケーキのような生地に小豆餡を挟んだことから、現代のどら焼きの形が誕生したという説が有力です。
この梅花亭(ばいかてい)の作ったものが、日本最初の「銅鑼焼き」と称されております。
ちなみに「パンケーキ」は1884年に雑誌で紹介され、1923年には東京のデパートの食堂で出さるようになりました。
その影響もあり、古来の和菓子とは異なった「挟む」和菓子として、現在のどら焼きの形が大正時代には定着したのです。
さらに現代では大正時代より、どら焼きの生地も厚くなり、ふんわり感が楽しめるようになりました。
ちなみに、関西地方、特に奈良県ではどら焼きを「三笠(みかさ)」と呼ぶところが多く、これは奈良のシンボルである若草山の別名「三笠山」が由来です。
「三笠山」は、山々が笠が三つ重なったように見える形状を和菓子に見立て、ネーミングされたと思われます。
「どら焼き」にお薦めの折箱
単品にても販売されております「どら焼き」ですが、詰め合わせでお土産や贈答品としても代表的な存在であります。
感謝の気持ちを包装にて彩るために、化粧箱として折箱を使って頂ければより高級感を演出できると思います。
売り切り商品にて、サイズが大きく9m位の大きさのどら焼きが6個から8個、詰め合わせにお薦めの箱がありました。
紹介させて頂く商品は、こちらの折箱です。
サイズが、本体 外寸 283×188×46mm(内寸275×180×45mm)とかなり大きめな折箱です。
原反柄の「東雲」(しののめ)とは、東の空が明るくなる頃。つまり夜明けの事で、俳句や和歌に出てくる雅で風流な言葉です。
売り切り商品の為、箱1個の単価が50%オフになっており、15個入りでの販売。
ちょっとしたイベント用、行事用にも対応できるかと思います。いつもとは違う特別感を演出するのに最適なアイテムになるかもしれませんね。
どら焼きに加え、他の和菓子との詰め合わせセットもいいかもしれませんね。
なお、商品カテゴリーにて「和菓子の折箱」を設けております。こちらも参照していただければ幸いです。
「どら焼き」の由来とおすすめのテイクアウト容器のご紹介、まとめ
ここまで「どら焼き」の由来、歴史や特徴、おすすめのテイクアウト容器の折箱についてまとめてみました。
どら焼きの名前の由来は、「打楽器の銅鑼(どら)」です。「銅鑼(どら)焼き」とも書きますね。
しかし、まさか800年以上前に溯り、源義経の忠臣・武蔵坊弁慶が登場するとは思いませんでした。
どら焼きの姿は歴史と共に進化しました。「麩(ふ)の焼き」、「助惣焼(すけそうやき)」、「銅鑼焼き」=「どら焼き」へと変化してきました。
「巻状」「四角」から「丸」に。「巻く」「包む」から「挟む」へ。そして西洋の菓子文化の影響を受け、より庶民に愛される和菓子になりました。実は深い変遷がありましたね。
そういえば、ブログ用に買ったどら焼き8個が、翌日には、すべて子供達に食べられて無くなっていました。ちょっとなにか足りないときや、おやつ代わりも丁度いい和菓子です。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。この記事が少しでもお役に立てれば幸いです!
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