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こんにちは、テイクアウト容器通販サイト「折箱堂」スタッフの佐藤です。

2月の行事食といえば、まず節分で行われる豆まきや恵方巻を思い浮かべますね。また、2月14日バレンタインデーのチョコレートという方も多いかもしれません。

実は、2月には「初午(はつうま)の日」という、いなり寿司を頂いて祝う日があるのをご存知でしょうか。

この日に頂くいなり寿司を「初午(はつうま)いなり」と言いますが、聞いたことのある方もいらっしゃるかもしれません。

実は私もごく最近気づいたばかりです。「初午(はつうま)の日」について、その由来や歴史について詳しく聞かれたら困ってしまう方も多いかもしれません。

今回は、そんな「初午(はつうま)の日」について、由来や、歴史について調べてみました。また行事食にあったおすすめの折箱についてもご紹介しますので、ぜひ最後までお読み頂ければ幸いです。

「初午(はつうま)の日」の由来と歴史

初午の日の由来

昔は、日付を十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)に当てはめて数えていました。

例えば、一日が「子」、二日が「丑」、といったように順番に当てはめていきます。十三日目には、また「子」から再スタートです。

「初午(はつうま)の日」とは、2月最初の午(うま)の日です。ちなみに、来年2024年の初午の日は、2月12日です。

「土用の丑の日」も同様で、毎年変わりますね。

初午の日が、なぜ稲荷神社のお祭りになったのか

「初午(はつうま)の日」には、稲荷神社でのお祭りが行われます。

なぜ、初午の日に稲荷神社のお祭りを行っているのでしょうか?

遥か奈良時代の和銅4年(711年)の2月の最初の午の日に、穀物の神様である宇迦御霊神(うかのみたまのかみ)、が稲荷山(伊奈利山)に降られた故事が由来とされています。

この稲荷山(伊奈利山)に、稲荷神社の総本社である伏見稲荷神社が創建されました。

稲荷(イナリ)の語源ですが、『山城国風土記』に拠りますと、古来の豪族で、稲作で財をなした秦伊呂具(はたのいろぐ)の話が出てきます。

秦伊呂具(はたのいろぐ)が、餅を的にして弓を射ようとしましたが、餅は白鳥に姿を変えて飛び去ってしまいました。

そして、白鳥が舞い降りた山の峰には稲が実った(成った)そうです。この「イネ・ナリ」が云われです。

元々イナリは「伊奈利」でしたが、「伊奈」=稲、「利」=植物を刈り取る様子を表しています。つまり「伊奈利」とは、稲の収穫を表現している言葉なのです。

初午の日は農作業が始まる日、その年の豊作を祈願する日として定着し、全国各地にある稲荷神社で「初午祭」が行われるようになりました。

きつね(びゃっこさん)がくわえているものは?

稲荷神社に行きますと、きつねが鎮座しているのを見かけますね。

ここでの「きつね」とは、野山に居る狐ではなく、神の使者としてつかえる眷属(けんぞく)様です。当然我々の目には見えません。そのため白(透明)狐=“びゃっこさん”とも言われております。

ちなみに、きつね(びゃっこさん)がくわえているものは、何でしょうか?諸説ありますが次の4種類と言われています。

1.稲穂・・・五穀豊穣や豊作など福の象徴
2.巻物・・・「経文(荼枳尼天秘法/荼吉尼教典)」知恵の象徴
3.玉・・・穀霊の象徴、稲荷大神の徳光など。霊徳の象徴
4.鍵・・・米蔵、宝蔵を開く秘鍵など。願望の象徴

元々は五穀豊穣の神様だったのが、商売繁盛をはじめとするさまざまな幸福をもたらす神として信仰を集めるようになったため、4種類もあるかもしれませんね。

また、稲荷信仰には「玉鍵信仰」というものがあります。

実はびゃっこさんは神様からの「ご利益」と人間からの「願い」を運んでいる神の使者との事。ありがたいお役目に感謝しないと行けませんね。

「初午(はつうま)の日」にいただく行事食

初午の日といなり寿司

初午に頂いて縁起を担ぐ「初午いなり」ですが、なぜ「いなり寿司」なのでしょうか。

これは、稲荷神の使いであるきつねの好物が、油揚げだったことが由来となっています。

信仰当初はネズミの油揚げをお供えされていた様ですが、仏教上では殺生はよろしくないですね。

室町時代になりますと、お坊さんの為の精進料理として油揚げが登場し、やがて稲荷大神様へ豊作の御礼にお米(酢飯)を詰めるようになり、現在に至る「いなり寿司」のスタイルが確立されました。

江戸時代中期には、庶民にも油揚げが手に入るようになり、稲荷神社もいなり寿司も、親しみを込めて「おいなりさん」と呼ばれるようになりました。

いなり寿司の種類や歴史

いなり寿司ですが、関東と関西とでは形が異なります。

こちら関東ですと、左側の米俵に例えた俵型がおなじみですが、西日本の方ですと右側のきつねの耳を模倣した三角形が主流になります。

また味の方も、東に行くほど濃くなり、西に行くほど薄くなるそうです。

いなり寿司が庶民に広がったのは江戸時代中期

1836(天保7)年の天保の大飢饉の直後に幕府から「倹約令」が出され贅沢が禁じられるようになりますと、高級な握り寿司が衰退するとともに、安価ないなり寿司が食されるようになりました。

飢饉のため、中身はお米ではなくおからでした。当時かけそば1杯の値段で、いなり寿司が4個買えたそうです。現在もほぼ同じですね。

当時のいなり寿司は長めの棒状だったそうですが、いつしか東西で形が分かれ、具材も東の方は白ごはん、西は具材たくさんの五目飯と進化し、現在も日常的に食されるようになりました。

いなり寿司と助六寿司

いなり寿司と巻き寿司を詰め合わせたものは、「助六寿司」と呼ばれていますね。

よくスーパーで販売されております「助六寿司」は、価格も手ごろで食欲旺盛な子供達を持つ親にとってはありがたい味方ですね。

この「助六寿司」ですが、なぜ「助六」という呼び名がついているのでしょうか?

「助六」という言葉の由来は、江戸時代の市川團十郎の歌舞伎十八番の一つである「助六所縁江戸桜」と言われています。

主人公である「助六」と、その愛人で吉原の花魁である「揚巻」の名前から、「揚げ(いなり寿司)」+「巻き寿司」を洒落っ気でなぞらえ「助六寿司」と呼ばれるようになりました。

ちなみに巻き寿司もいなり寿司と同様に、幕府からの「倹約令」により握り寿司から庶民の味として取って代わりました。「助六寿司」は昔も今も、お手軽で安く、美味しい食べ物ですよね。

「初午(はつうま)の日」にお薦めの折箱

「いなり寿司」や「助六寿司」は、スーパー等では透明パックやトレーなどに詰められ販売されているのを見かけると思います。

しかし、これらを折箱に詰めることで見た目もより一層引き立ち、いつもとは違う特別感を演出することができますので、ぜひお試しください。

今回お薦めの商品は、こちらの折箱です。

【折箱】YB410-P 杉 蓋付(120個入)

こちらは定番の杉柄ですが、他にも「ウンキン」「摘草クリーム」「秋千扇」の柄をご用意しております。

「初午の日」に限らず、他のイベントでもテイクアウトやお持ち帰り容器としてご利用いただければ幸いです。

「初午(はつうま)の日」の由来とおすすめのテイクアウト容器のご紹介、まとめ

ここまで「初午の日」の由来や歴史、そして「初午の日」に合ったおすすめのテイクアウト容器の折箱についてまとめてみました。

「初午の日」は稲荷神社にて豊作祈願を願うお祭りです。

その稲荷神の使いが「きつね(狐)」です。本当は狐の姿をしたびゃっこさんなのですが、狐の好物が油揚げとの事で「油揚げ」を奉納したり、「いなり寿司」をお供えするようになりました。

江戸時代の中期には「いなり寿司」は庶民の味として定着し、現在に至ります。

実は「初午の日」はその年の豊作を祈願する日の他に、江戸時代の子供達が寺小屋へ入学する日でもありました。旧暦的には春ですね。

「初午の日」には、いなり寿司を頂き縁起を担ぐと共に、また何か習い事・学びを始める日としてはいかがでしょうか。

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。この記事が少しでもお役に立てれば幸いです!

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